星田妙見宮にお参り

トラウマを解消する一悟術ヒーラー・医師 SAICOです。

誕生日を目前にして、産土神社にお参りしてきました。

行こう行こうと思って、なかなか行けてなかったのです。

JRの星田駅から貸し自転車を借りて行くんだけど、

毎回道に迷う。最初に曲がるところを間違えちゃうのよね。

でも、なんとか最終的にはたどり着けるので、まあいいかな。
(神社から駅に戻るのは迷わないんだけど)

妙見信仰の伝来

前来た時はこんな看板あったかな?気づいてなかったのかも

我が国の推古3年に、百済国の聖明王の第3王子 琳聖太子は、
夢の中で、「東海の国に観世音菩薩の化身たる皇子聖徳太子あり。
国法を改め国家を治めんとする。吾が即ち北辰なり」
お告げを受け、日本に来ることを決意しました。

同年、日本に大星降臨し、その座のものに「吾北辰なり、今より3年後に百済の聖明王の第3王子 が来たれる」とお告げがなされる。
推古5年、琳聖太子は、日本に渡来し、北斗七星剣と憲法17条制定の過程の元となる
妙見信仰の妙見信仰の和の心と太上神仙鎮宅七二霊符を伝来されたという。

琳聖太子は、秦河勝に案内され、難波の生玉の宮にお入り、居住した。
推古5年4月聖徳太子を会見され、聖徳太子がなされようとする日本の政治、宗教の基礎固めのお仕事に助言された。

来朝の挨拶をなされた後、日本で初めての北辰星供を盛大になされる。
その後延暦4年(785年)に桓武天皇は、都の南郊、交野が原に郊祀壇を設け、
北辰祭祀による我が国で初めての天神の祀りをされる。

聖徳太子が制定した17条の憲法には、琳聖太子によって伝来された妙見信仰の調和の心が生かされている。
妙見信仰の教えは森羅万象の調和の心であった。

17条憲法と北斗七星が関係しているとは、知りませんでした。

星田の降臨伝説


空海と関係してるのね。

810〜824年の頃に、空海が私市村観音寺に逗留された。
虚空蔵菩薩求聞寺の法を修行されて、成就されたその夜の暁、仏眼仏母の大光明が放たれました。

その出現の尊を尋ねられると、獅子窟山吉祥の獅子が窟寺の岩窟の仏眼尊だとわかりました。
空海がこの岩窟に入り、仏眼尊の秘法を正しく唱えられました。

すると、天より七曜星が降臨され擁護してくださいました。
その七曜星降臨の地が妙見山、光林寺、星の森でした。
この3箇所が一辺が八丁(880m)の正三角形をなしていることから、八丁三所、星の聖地と言われるようになりました。


おみくじは吉でした。

もう一つの星田神社にもおまいりしました。

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